レンズは交換式でなければならない、というのは神話である。レンズが交換できなくても、レンズが単焦点であろうとも、いろいろな写真が撮れる。もちろん、レンズを交換して、超望遠とか超広角にしなければ撮れない写真というのは厳然として存在する。だから、レンズ交換式を否定するつもりはまったくなく、むしろレンズ交換の恩恵にあずかってきたのは、ほかならぬ自分である。しかし、レンズが単焦点で、しかも固定式で交換できなくても、撮影者さえしっかりしていれば、各種の被写体が撮れるのである。現代はなんだか交換レンズによりかかり過ぎているような気がしているので、あえてこういうことを言ってみる。レンズ1本、それは交換できようと、交換できまいと、それだけでそこそこの写真が撮れる、それが写真を撮るということである、と言い切ってしまってもいい。たとえば、35ミリ判を離れて、6×6センチ判二眼レフはマミヤCシリーズを除いて、レンズ交換はできないから、1本のレンズで勝負するしかない。その中で、写真を撮ることが重要なのではないか。これを意固地だと思っている人は、6×6センチ判二眼レフの名作を知らないのだろう。どれほどのカメラマンがローライフレックスだけで数々の名作を生み出してきたか。その対極にあるのがズームレンズであり、1本で広角から望遠までカバーできる。それで写真がちゃんと撮れていると思いこんでいる人々の多いことに、私はむしろ圧倒されるのである。もちろん、ズームレンズの便利さを否定するわけではないが、寺山修司に倣えば、「ズームを捨てよ、単焦点で街に出よ」と思うのである。そして、単焦点レンズを使いこなすと、ズームレンズの使い方も違ってくると思う。便利なのは現代の特長だが、便利だからいいものが生まれるとは限らないのである。
今日も休業である。自分の時間を自分で自由に使えるということは最高に贅沢なことだと思う。私は生涯現役とか、そういうのは趣味でないので、ある時期が来たら現役を退いて、ひとりのアマチュアとして過ごすつもりである。もともと、プロ意識に欠けている人間なので、まあ当然のコースなのかも知れないが。
深大寺門前で。またまたおなじみの鬼太郎茶屋である。ここはほかの茶屋とちがって、なにかこちらの心をくすぐるものがある。だからと言って、毎回撮っているのは、まあ馬鹿だと言われてもしかたのないところだが(笑い)。オリンパスPEN E-P3、M12ミリF2.0、プログラムAE、JPEGラージファイン、AWB、ISOオート。